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福岡高等裁判所 平成元年(う)250号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は検察官左津前武提出(同村山弘義作成)の控訴趣意書に、これに対する答弁は弁護人石渡一史、同松岡肇連名提出の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

検察官の所論は、要するに、原判決は、「罪となるべき事実」として公訴事実とほぼ同旨の殺人及び強盗殺人の事実を認定しながら、原審検察官の死刑の科刑意見に対し、無期懲役刑を言い渡したものであるが、本件は、ギャンブルに身をもちくずした被告人が、それまで乏しい収入のなかから被告人のために借財の返済に尽力してくれていた、なんの落度もない老いたる実父母を、特に父親については金品強取の目的で、短時間のうちに相次いで殺害するなどした特異重大事犯であって、犯行の動機・原因に酌量の余地はなく、犯行の態様は極めて残虐かつ執拗にして非道であり、何物にも替え難い両親の命を奪った結果もまことに重大であるのに加え、犯跡を隠蔽して逃走するなどした犯行後の行動も悪質であって、被害者らの無念さは察するに余りあるとともに、遺族らの被害感情もまことに厳しいうえ、被告人の反社会的性格や犯罪性向からみて、その矯正は極めて困難であり、また本件の社会的影響には重大かつ深刻なものがあるから、一般予防の見地や他の同種事犯との量刑の均衡の上からも、被告人に対しては極刑をもって臨むべきであるのに、原判決は、死刑を科すべき場合は極めて限局されるべきであるとの立場の下に、証拠を一面的にのみ捉え、被告人に有利な情状が存するとして、殊更これを過大に評価した結果、被告人を無期懲役に処したものであって、その量刑は著しく軽きに失し不当であるから、とうてい破棄を免れない、というのである。

そこで、所論にかんがみ、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して、原判決の量刑の当否について検討する。

一  被告人の身上、生い立ち、経歴並びに犯行に至る経緯や犯行の状況については、概略原判示のとおりであって、被告人の本件犯行は、長年にわたり競艇等の賭事に溺れ、いわゆるサラリーマン金融等から多額の借金を重ねて、これを父親に返済させることを繰り返し、そのため父親をして居宅やその敷地を担保に入れたり、僅かな農地を売却したりして金策することを余儀なくさせ、また愛想を尽かした妻とも離別する仕儀になりながら、なおも競艇の誘惑を断ち切ることができず、白血病に罹患した父親の窮状を横目に足繁く競艇場に通い、またしてもサラリーマン金融等から多額の借金を重ねたり、知人から預かった金を遣い込んだり、果ては競艇場に巣くう暴力団関係者から高利の金を借りたりした挙げ句、父親の加入していた生命保険から支払いを受けた入院給付金を、その暴力団関係者への借金の支払いに当てようと考え、父親の留守を見計らって母親に無心したところ、その申し出を拒絶されるとともに激しく叱責されて激昂し、咄嗟に母親を殺害しようと決意し、たまたま目に入った電気コードで母親の首を絞めて殺害し、更に母親殺害の事実を父親が知れば、自分も逮捕されるし、父親も悲しむであろうなどと思い巡らすうち、父親をも殺害してその所持する預金通帳等を奪い逃走するほかないと決意し、帰宅した父親の背後から電気コードでその首を絞めて殺害し、その反抗を不能にしたうえ、現金約二万五〇〇〇円と預金通帳三通等を強取したというものである。

二  被告人の本件犯行は、自らの自堕落な生活態度に起因する借金の返済のための身勝手な頼みを断るとともに、激しく叱責した母親に対する理不尽な立腹から、これを殺害し、更には金品強取の目的で父親をも殺害したというものであって、犯行の動機・原因に酌量の余地はなく、慈しみ育ててくれただけでなく、それまで被告人の浅はかな振る舞いの尻拭いのため苦労を重ねながら、ひたすら被告人の立ち直りを期待して愛情を注いできた、なんの落度もない両親を裏切り続けた挙げ句、自らの手で次々と殺害した結果は極めて重大であり、人倫にもとること甚だしく、社会に与えた衝撃も大きいものがあるうえ、それほどまでに尽くした息子の手にかかって非業の死を遂げなければならなかった被害者両名の無念の情は察するに余りあり、遺族の被害感情も厳しいものがあるほか、犯行後の被告人の行動にも非難を免れないところがあって、これらの諸点にかんがみると、犯情は非常に悪く、被告人の罪責はまことに重大であるといわざるをえない。以上の諸点は、所論の力説するところであるが、原判決もまたこれらを量刑上重視していることは、その「量刑の理由」において、本件の量刑上斟酌、考慮した諸点を詳細に説示しているところから明白である。

三  しかるところ、原判決は、被告人の罪責がまことに重大であることを認めつつも、(1)本件犯行がいずれも事前の計画に基づく犯行でなく、父親殺害の犯意も、母親殺害によるいささか冷静さを欠いた心理状態の下で形成されたもので、金銭的欲望に支配されたものではなく、むしろその占める比重は従たるものであり、通常の強盗殺人罪とは犯情に差異があること、(2)電気コードによる絞殺という犯行の方法も、とりわけ残酷なものとはいえないし、両親の死体を浴槽の中に隠匿していることも、殺害した死体の処置としては、格別悪質な態様のものとはいい難いこと、(3)被告人は、これまで身近の者、父母、親類、愛人、知人、雇い主等に迷惑をかけることはあっても、全く無縁の第三者に被害を及ぼす行為に出るといった反社会性まではなく、意志が弱く自制心に欠け、小心で気が弱いなどの性格的な弱さを有するものの、人間性を喪失した冷酷非情な人格ではないし、逮捕されて後は、死刑をも覚悟したうえで罪を心から悔い、事実をありのままに述べており、その反省悔悟の情はまことに深く、これらの諸点からみれば、被告人の犯罪的性格が矯正不可能ないし困難であるとまではいえないこと、(4)被害者両名も、被告人に裏切られ続けながらも愛情を注ぎ続けていたものであるだけに、刑罰については、被告人の深い反省を条件になお一掬の憐憫を求める思いを留めているように思われ、被害者両名の娘で被告人の妹である甲野春子は、原審公判の最終段階になって、被告人の助命を求めるに至っていることなどの諸点を指摘して、被告人に生涯を通じてその罪の償いを果たさせるとともに、両親の冥福を祈らせるのが相当と判断し、被告人を無期懲役に処したものであることが明らかである。

四  所論は、原判決の右(1)ないし(4)の説示を不当として論難するので、以下これらの諸点について順次みてみることとする。

(一)  まず、前記(1)の点について、所論は、被告人は母親殺害後その死体を押し入れに隠す犯跡隠蔽工作をするなど、むしろ冷静に行動しており、また父親が帰宅するまでの約一時間の間にあれこれと思いを巡らすうち、父親をも殺害して金品を強取し、借金返済資金や逃走資金を得ようと計画し、その計画に従って強盗殺人の罪を犯しているのであって、まさに金銭的欲望に支配された犯行であり、その占める比重を従たるものであるなどということはできず、通常の強盗殺人罪とは犯情に差異があると評価するのは、誤りであるというのである。たしかに、被告人が母親を殺害後その死体を押し入れに隠す犯跡隠蔽工作をするなどしていることや、母親を殺害してから父親が帰宅するまでに約一時間あったこと、その間にあれこれと思いを巡らすうち、父親をも殺害して金品を強取し、借金返済資金や逃走資金を得ようと決意して、犯行に及んだものであることは、所論指摘のとおりである。しかし、被告人が、母親から全く考えてもいない事柄にまで言及する厳しい叱責を受け、思いもかけず激昂して咄嗟的に母親殺害という大罪を犯し、その直後に興奮狼狽した心理状態にあったことは、容易に想像できるところであるし、被告人が父親の帰宅までの間にあれこれと思いを巡らすうち、母親を殺害したことを知れば、母親と長年一心同体のように連れ添ってきた父親が嘆き悲しむであろうと思い、それも大きな理由となり、前示の金品強取の意図とあいまって、父親殺害を決意するに至っていることも、否定できないところである。右の犯跡隠蔽工作は、必ずしも被告人の冷静さを示しているものとはいえないし、父親帰宅までの約一時間が、被告人に冷静さを取り戻させるに足る時間であったとも認め難い。被告人が母親を殺害したことを知れば悲しむから父親をも殺害するという、通常の心理状態ではすぐには理解し難い考え方も、興奮狼狽した心理状態の下で生じたものとしては、理解しえなくもないのである。父親に対する強盗殺人は、金銭的欲望の占める比重が原説示のように従たるものであるとまではいいえないにしても、それのみに支配された犯行ではなく、その意味で通常の強盗殺人罪とは犯情に差異があるということはできる。してみると、原判決が前記(1)において説示するところは、概ね妥当というべきであって、これに対する所論の非難は当たらない。

(二)  次に、前記(2)の点について、所論は、絞頸は最も確実な殺害方法の一であり、確定的で強固な殺意がなければ実行できない殺害方法であるところ、被告人は、無防備無抵抗の実父母に対し、いずれもその背後から電気コードで絞頸し、ともに耳鼻から流血するまで絞め続け、母親に対しては絞頸後動く気配を感じて、今度は止めを刺すべく自己の手で首を絞め、父親に対してはその左甲状軟骨上角が骨折するほど強く首を絞め続け、ともに惨殺したものであって、戦慄の走る残忍冷酷な犯行であり、また殺害に用いた電気コードを巻きつけたままの実父母の死体を、引きずりまわして風呂場に運び、狭小な浴槽内に折り重ねて入れ、蓋をして隠した結果、両死体を正視し難い陰惨な腐乱状態に陥れ、死者の尊厳を著しく害したものであって、これを原説示のように格別悪質な態様のものとはいい難いというのは、当たらないというのである。なるほど、被告人の実父母に対する殺害方法が所論のようなものであって、これを戦慄の走る残忍冷酷な犯行であるということも的外れではないし、また被告人の両死体の隠匿方法が所論のようなものであって、その結果両死体を正視し難い陰惨な腐乱状態に陥れ、死者の尊厳を著しく害したというのも、当たっているというべきであろう。しかし、原判決が、電気コードによる絞殺という犯行の方法を、とりわけ残酷なものとはいえないと説示したのは、刃物を用いて多数回にわたり刺突したり、鈍器を用いて頭部、顔面等を何度も強打したり、あるいはガソリン等をかけて焼殺したりするなどの、他の殺害方法と比較してのものとして理解できるのであって、その意味では、原説示が決して不当なものでないことは明らかである。また、原判決が、両死体を浴槽の中に隠匿したことをもって、殺害した死体の処置としては、格別悪質な態様のものとはいい難いと説示したのも、死体が発見されないよう海中に投棄したり、土中に埋めたり、あるいは切り刻んだりするなどの、他の隠匿方法と比較してのものとして理解できるのであって、その意味では、原説示も誤りとはいい難い。所論のこの点に関する非難にも、にわかには与しえない。

(三)  前記(3)の点について、所論は、本件犯行に至るまでの経緯や犯行の動機・原因、犯行の態様、犯行後の行動等に照らすと、被告人には強固な反社会性と人間性を喪失した冷酷非情な性向が認められ、被告人の犯罪的性格は既に強く固定されており、もはや矯正困難であるというのである。たしかに、本件犯行に至るまでの被告人の行動は、自堕落で背信的であり、なかには横領や窃盗の犯罪行為に該当するようなものもあったこと、身勝手な動機・原因から、大恩ある両親を相次ぎ無残にも殺害して金品まで奪ったこと、本件までの間に、何度も立ち直りの機会がありながら、これを果たさず、しかも犯行後は、それによって入手した金員で競艇に興じていることなどからすると、所論にも頷けるところがないではない。しかし、被告人がこれまで迷惑を及ぼした相手は、いずれも被告人に対し愛情や好意を抱いていた者であって、その愛情や好意を裏切ったという意味では背信的であるにしても、そこには被告人のこれらの者らに対する甘えもみてとれるのであり、自らの利己的な目的実現のため、全くの第三者に害を及ぼすような反社会性まではなかったことは、被告人にこれまで前科がなかったことにも表れているともいうことができ、この点の原説示は正当である。また、被告人は思いもかけず激昂して母親殺害という大罪を犯し、その直後の興奮狼狽した心理状態の下で、父親に対する強盗殺人を決意し犯したものであり、金銭的欲望のみに支配されて犯したものでないことは前叙のとおりであって、これらの点をも併せ考えると、被告人の性向を人間性を喪失した冷酷非情なものとまでいい、これが抜き難いほどに固定化した性格であるとするのは、過言というべきである。そして、以上の諸点に、被告人の逮捕されて後の態度や真摯な反省悔悟の情をも併せみれば、被告人の犯罪的性格が、矯正不可能ないし著しく困難であるとまではいいえないことも、明らかである。原判決の前記(3)の説示に対する所論には、左袒できない。

(四)  前記(4)の点について、所論は、原説示が、被害者両名も、刑罰については、被告人の深い反省を条件になお一掬の憐憫を求める思いを留めているように思われるというのは、独断的な推論に基づく判断であり、被害者両名も、実父母を手にかけて殺害するまでになり下がった被告人は、もはや矯正不可能であるとの思いを抱いたとみるのが相当であり、また被害者両名の娘で被告人の妹である甲野春子は、捜査段階においては、被告人にも両親が味わったのと同じ苦しみを味わせて欲しいと述べ、原審第六回公判期日においても、被告人を一応でも許してよいとの気持ちにはいまだなっていない、被告人に対しては法に従った適正な処罰を望むなどと述べていたのであり、応報的な意味での被害感情は、そこにこそ表れているというのである。なるほど、死亡した被害者両名が被告人の刑罰についてどのような思いを留めているかについての原説示が、推論に基づくものであることは明らかである。しかし、父母の子供に対する愛は、子供から裏切りを受け続けても、なお許しを与える深い一面を有するものであることに思いをいたすと、被害者両名もまた、愛情を注ぎ続けてきた被告人から殺害されるという最大の裏切りを受けても、なお被告人の深い反省と更生を願い、刑罰について一掬の憐憫を求める思いを留めていると推倫することには、充分な理由がある。また、被害者両名の娘で被告人の妹である甲野春子を始めとする遺族の被害感情も、事件直後の、被告人に対する激しい怒りを鮮明にしたものから、時日を経て冷静になるに従って、肉親としての被告人に対する情愛をも含んだ複雑なものとなり、特に甲野春子は、原審公判の最終段階以降当審においても、被告人に死一等を減じる刑の科せられることを望むに至っているのであって、遺族の被害感情はなお厳しいものがあるにせよ、右のような変化を無視することはできない。この点についての所論もまた、正鵠を射ているとはいい難い。

(五)  右にみてきたとおり、原判決の説示する右(1)ないし(4)の点は、概ね首肯しうるところであって、これについての所論の論難は採用できない。

五  被告人の本件事犯について量刑上考慮すべき事実及び事情は、前叙のとおりであって、先に二で述べたような諸点からすれば、所論が強く求めるように、被告人に対して極刑をもって臨むことも、もとより考えられないではない。しかしながら、死刑が人間存在の根源である生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な極刑であり、まことにやむをえない場合における窮極の刑罰であることにかんがみると、その適用にあたっては慎重の上になお慎重を期し、犯行の罪質、動機、結果の重大性、被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察し、その罪責がまことに重大であり、罪刑の均衡の見地からも、一般予防の見地からも、極刑がやむをえないと認められる場合にのみ科すべきものと考えられるところ、前示のとおり被告人の罪責はまことに重大ではあるが、原判決が説示し、当裁判所も概ね首肯しうるとした、前記三の(1)ないし(4)の事情を含む各般の情状を総合してみれば、一般予防や罪刑の均衡の見地等、所論指摘の点を更に考慮してみても、被告人に対しては無期懲役刑を選択し、生涯にわたって両親である被害者両名の冥福を祈りつつ反省と悔悟の日々を送らせ、罪を償わせるのが相当と認められるから、原判決の量刑が著しく軽きに失し不当であるということはできない。論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用については、同法一八一条三項本文により被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 丸山明 裁判官 萩尾孝至 裁判官 森岡安廣)

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